ハゲタカと私たち
外資を形容して「ハゲタカ」と称する。人間も動物であるのだから、その動物性や行動を言い表すとして他の「兄弟」の名前を使うことは適当なことなのだろうか?
人間同士(性別、肌の色、習慣、門地出生、ハンディキャップ等々)でこれをやれば訴訟どころの話では済まない。以前、雑誌が廃刊になったことがあったと記憶する。つまり巧妙な人間の本性隠しとして「ハゲタカ」はとても迷惑していると私は思う。
外側から押し寄せる異質な者達から自分たちの来し方を思い起こすこと。今、不安や不条理と感じることは過去・現在において私たちの姿そのものではないか。鏡に映して自分を見つめることなくハゲタカの「イメージ」はいつものように記憶と羞恥とを空高く持ち去る。
落日を見つめる最後の皇帝たち。現代の溥儀は決まって「私たち(We)は」と話し始める。件の当事者たちがこう話し出す時、私でもあなたでもない「私たち」が向かうところは甘い腐臭が漂う現実以外にはないだろう。

