そして、一体どうなるのか(続編)
そして、一体どうなるのか?と、きょうの子豚は続編です。
今年は紫陽花がたくさん咲いています。3年ぐらい前に花芽を切られてしまってからやっと元通りになりました。
Blogを巡回していてこんなテキストに出会いました。
タダ働きするプログラマたち
今、世界中で自ら進んでタダ働きするプログラマが増えている。突然、こんなことを言っても信じられないだろうが、あなたが今見ているこのページも、そういうタダ働きによって開発されたアパッチというプログラムによってあなたのパソコンに送信されている。
- 「タダ働きが世界を動かす」
- by essa
- ver 1.0 2003/6/11
え?と思いましたが読むうちにここで言っているアパッチやリナックスなどの「オープンソース・ソフトウエア」とはどのようなものか、どのような人たちが作っているのかが門外漢の私にも少しだけ理解できたようです。
働くことの報酬は労働時間と希少性によって(ちょいカタイかな?)その対価として支払われる訳ですが驚いたことに「タダ働き(週末プログラマ、自分の時間をやりくりしながら等々)」に「札束」よりも価値あるものがあるのだというのです。
それは「それがぼくには楽しかったから」("Just for fun")だとリナックスの中心人物は言っているそうです。
ソースをオープンにして、たくさんの人が関わるプログラム開発方法の優れた点やコミュニティに参加する人の性格なども興味深いですが、人それぞれに幸福を実感することの多様性や活気ある雰囲気を私は感じます。
−■−
今年1月に2週間ほど入院しましたが、その内8日間は集中治療室で内出血を止めるための治療を受けました。
体を起こすことは禁止されていましたので室内を見回すことは出来ませんが、最重要のケアが必要な重体の患者さんばかりがいらっしゃることは気配ですぐ分かりました。
そこで働く看護師さんたちが厳しい職場の中で命を守るために、いかに努力しているのかを私自身が身をもって知りました。
痰の吸引(寝たままでいると痰が気管を狭めて酸素が吸収できなくなり命に関わる。吸引する時はとても苦しがる)を嫌がる患者さんに嫌われること。時間外にやって来る見舞客を叱ること(必ずといっていいほど容態が悪化します)。容態の急変に駆けつけたり、緊急の入院で一晩中駆け回ること。そういうところがあるということを私は知ることが出来ました。
さて、(尊敬の念を込めて)彼女たちは何故そこで働くのでしょうか。その問いかけの答えに私が確信しているのは、彼女たちがその仕事に対する誇りと喜びを控えめに表すだろう、ということです。
−■−
そして、一体どうなるのか?─反論には対案が必要ではありますが「いいとこどり」されないために、対案が論議の前提・土台そのものを突き崩すものはないかと考えると、やはり成長を至上・前提とし競争原理にすべてを委ねる「改革なければ(経済の)成長なし」という構造改革の方法自体を私は否定したい、と思います。
ソフト開発、病院とあまりにも違った仕事を並べてみましたが、果たして同じ「経済合理性」という方法に委ねた効率を追求して何が得られ、失われるのか、そういうことを時間がかかろうともより多くの人の参加を求めて論じ合うべきです。
その上で社会の土台を成す人々の幸福を実現するための手段として、配分を産業政策から社会・福祉政策に重点を置いて「会社は潰れても人間は潰れない社会」、競争・自助努力を強調するのではなく「助け合い」を基調とする社会を少しずつ実現したい、ということを基調に論じ合いたいと私は思うのです。
−■−
いま、経済効率のみを追い求める市場競争と助け合いながら生きて行く人間性とが世界中でせめぎ合っているのだと私は思います。イリイチ流に言えば、これは「人間の自立自存に仕掛けられた戦争=ジェノサイド」です。
折しも自衛隊を実質、戦闘行動に投入するイラク新法が準備されています。これらの戦争の参加者として、私たち自身も劣化ウランの粉塵に晒されに行くべきだ、ということなのでしょうか。

