足るを知ることが人間というシステム
真夜中の「子豚のしっぽ」です。Jazz、Out Of FishingとPiggys Tail 2002年分を更新しました。
雨上がりの手前桜公園を散歩してみました。桜も欅も葉が茂り、シロツメクサの絨毯と相まって緑の匂いが強く漂っています。
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今年は鉄腕アトムの誕生日だったと思いますが、原発停止による首都圏の電気不足が現実のものになりつつあることを思うと何か符丁のようなものを私は感じます。
あと7年もするとこの国は今のアルゼンチンのような貧しい国になるという人がいます。収縮する経済、増える失業、もはや解消することの出来ない膨大な債務の不履行=国が破産する時が来る、といいます。
しかし、よく考えてみるとそれはそう「宣言」するということで、出口無しのような経済現状(と政官財)に誰が引導を渡すのかに過ぎないことなのかもしれません。
アトムくんは妹のウランちゃんととても仲良しだったと思います。彼らのように人々が分かち合い助け合って行かなければ暮らしが成り立たない欠乏の時代がやって来るとしたら、ロウソクの明かりの夜が来る日を静かに私は迎えている、ような気がします。
…しかし、本当のところはどうなのでしょうか?街を見渡せばいつでも飲み物を冷やしている自販機か見つかり、煌々と明かりが灯るコンビニがある暮らし。電飾看板が夜中輝き、冷房の廃棄熱とコンクリートの街が「暑い島」を作る、そんな暮らしを顧みることなく不安ばかりが一人歩きをしている、ような気がします。
足るを知る(たるをしる)ことが人間というシステムのはず、です。なぜ、鍋の水は沸かなかったのか?それは薪が少なかったからでしょうか?水が多すぎたからでしょうか?

