奴隷の宴
久々に深夜の「子豚のしっぽ」です。本日はM社のアーモンドチョコで子豚しています。
子豚2/11で奴隷の宴について触れました。ここのところのイラク情勢に日本政府高官の発言が相次いでいますが、彼らのロジックからいいますと世界的な反戦運動や子豚2/11のような意見は「イラクへの誤ったシグナル」「感情論」となるようです。
安保理の話し合いからも分かるようにイラクへの対応には対立する意見(と利害)があります。米英は早期の査察打ち切りとイラク攻撃(安保理決議が無くとも開戦する)を主張し、他方のフランス、ドイツ、ベルギーなどは査察延長とその強化、戦争を最後で最悪の手段であると主張しているのはご存じの通りです。
安保理では今のところ12対3で「査察延長・強化派」が大勢を占めています。米英はさらに強硬な決議案を出そうとしています。理事国ではない日本は今のところは武力行使を肯定していませんが米英支持です。
このような状況でわが政府は、この国の大勢である「戦争はすべきでないと思う人々」に適切なメッセージを伝えることが出来ないのは何故なのか。
村上龍さん風に言えば「対立した利害がある時、それを明確に説明する言葉と文脈を持たない」ということだろうと私は思います。
国際政治から見れば、日本はアメリカの軍事的政治的庇護が必要であることが明かでしょう。ヨーロッパはさらに統合へと加速をし、経済的には世界を支配できなくなったアメリカは今以上に圧倒的な軍事力を背景にした一国主義を加速する、のかもしれません。
また、パレスチナ問題などを見ても、国際政治はリアリスト同士の駆け引き、ダブル・スタンダード(=ホンネとタテマエ)と同義語だろうと思われます。
ここで北朝鮮問題(と広い意味での半島問題)や対中国といった対応を迫られているこの国の「いま取るべき道」といったものを説明できる言葉を持ち合わせてない、ということは戦慄すべきことなのかもしれません。
アメリカに対しても「国連主義」を一貫して主張していることは大いに(驚きさえ感じて)私は評価していますが、曖昧な発言を繰り返す政府高官に苛立つ前に、そして戦争が始まる前に、それらを説明できる言葉を見つけなければ、この国の未来はどのように考えても明るい方向には向かわないと私は思います。
知性は情に裏打ちされてこそ生きるものだと私は思います。戦争の惨禍をまき散らし、自らもその苦渋を知っている人々の「感情論」を軽く見るとすれば、それは私たちの知性の劣悪さの証であろうと私は思います。
追記:日本はアメリカの軍事的政治的庇護が必要である…は我ながら甘いなと思います。「アメリカの属国」あるいは「54番目の州」という見られ方がより適当でしょう。(2003-02-24)

