表意文字と表音文字、カタカナ文化
朝の「子豚のしっぽ」です。きのうは子豚の更新日を新しくしていなかったようです。すわ!江川「空白の1日か!?」ということではありません、単に忘れちゃったということです。他ページにも日付の誤記があり訂正いたしました。デブ屋風に言いますと「しーと」ですなぁ、アタクシも。
昨日の子豚はNetscape 7.01を取り上げましたが、改めて「Mouse Gestures」を試したところ、いまのところ怪鳥に作動しています。マック使いの方にはお馴染みだと思いますがマウスのクリック&ドラックで文字を書くように動かすとコマンドが実行されるというUIが実に便利です。
「Popup Window Controls」のタスクバー表示には同梱のテーマのみ対応のようです。Orbitで「れれれ?」とならないことをお祈りしております。(ここで洗濯終了のぴーぴーが鳴ったので一時中断)
(さて再開です。コーヒーをすすりつつ)昨日の子豚で(むむ、II-Vな進行じゃな)ちょっと「意志疎通不能(ディスコミュニケーション)時代」ということばを使いました。何気なく漢字とカタカナを併記したのですが、「表意文字と表音文字」からこの国を見てみるとどうなるかと考えてみました。
この国の有り様を指して「末端文化」と称する時があるようです。独自性はないが取捨選択・応用が上手(つまり独自性がない。ちょっと悪意を感じますが)…といった意味があるのかなと思うのですが外来の事柄をそのまま「カタカナ化」して受け入れる、という土壌があるようです。
その一例が「グローバリゼーション」ですが「世界的に規模を拡げること」といった意味ですが中国ですと「全球化」と漢字化=訳されていると聞きます。
さてここで「グローバリゼーション」と「グローバルスタンダード」を併記するとどうなるか。後者は前者の規定の意が現れてくると思うのですが、中国の例に倣ったら「米国式全球化論理」とでもなるでしょうか。
しかしいま現在、意識的にはそのようになっていないのではないか、という「表音」的理解(=理解していない)というような状況をあちらこちらに作り出している、と思うのですがどうでしょうか?
オーウェルの1984的「新語法」と暗喩(メタファー)を捨てた記号に埋め尽くされた消費社会がいまのこの国で推し進められている、これらは文化に対する政治的無差別暴力(テロリズム)だと思うのですが、カタカナ文化の申し子たる自分が言うのもどうしたものかと子豚はしばし考えるのであります。
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それにしてもポリ袋を断るヒトに「イエローカード」はないよな〜。センスワリ〜ナ〜 !

