身近にいる龍たち
朝の「子豚のしっぽ」です。きのうは「炬燵」を出しました。朝晩がぐっと冷え込んできました。今夜はおこた+小鍋立て夜の静寂に一句詠む、ナンのことやら分かりませんが楽しみであります。
炬燵は小龍というように龍の子供だそうです。龍は古来、中国では水脈・地脈といった大地の力を表すシンボルだそうですが、その子供は人々を温めるという、まことに近しいものでありますな。
以前ですが、山水画家の方が「臥龍」「龍勢(りゅうせい、龍の勢い)」という言葉を使っていたのを思い出します。絵の中の雲や木の枝ぶり、川の流れなどの風景の中に龍の姿があるというのです。
子豚はこういう話が意外と好きで、山歩きや釣り、町を歩くときでも龍がいないかと周りを見回したりします。ですがやはりというか、コンクリートで塗り固められた町中でそれを見ることはなかなかないようです。ラーメン屋さんのどんぶりの縁にも最近はとんと見かけません。なぜでしょうか?
西洋のドラゴン(竜)は暗黒の象徴だったり、時代が進んでは集団的無意識といった人間の心の闇に押し込められてしまったようですが、私はおこたのように身近にあって暖かい存在であると考えています。
またしかし、龍は嵐を呼び雨をもたらすもの、自然の強大な力の象徴でもありましょう。一旦荒れ狂うと地は裂け洪水となって町をたいらげる恐るべきもの、ではありますが人々に恵みをもたらすものでもありましょう。
龍が姿を隠してこのかた、どうやら人間は自然の従属物たる自分を忘れがちのようであります。中世から現代に至る「竜狩り」の歴史を辿ると、長く続いた剣と盾の時代が終わってコンクリートやブルトーザー、遺伝子操作が登場すると同時に龍の撤退がより一層進んだように感じます。
それは人類の撤退でもある、と黙したこの星は最近になって呟き始めたようです。
龍をいかに生き延びさせることができるか、その幸を怒りに触れぬように授かり続けられことができるのか。それはひとえに人間の努力にかかっているようです。
川辺川、諫早湾の龍がグオッ!と吼えた声がここ東京・昭島でいま聞こえました。

