持っちゃいけないとは書いてない?
朝の「子豚のしっぽ」です。いまコーヒーを入れているところです。いよいよ世界蹴球杯・ベルギー×日本のキックオフ!楽しみですねー。さらに韓国×ポーランドと午後5時以降はサッカーばかりで「深夜版ニュース23」で余韻に浸る…にわかファンの子豚もむふふな1日になりそうです。
おりもおり—印パで核戦争の可能性がささやかれ、米ロの核兵器廃棄(部分的ではありますが)が話し合われ、有事法・個人情報法が審議中、防衛庁の庁ぐるみブラックリスト作成発覚と「おりもおり」に福田康夫官房長官「憲法上、法理論的に持っちゃいけないとは書いてない」、安倍晋三官房副長官「憲法上は原子爆弾だって問題ではない。小型であれば」との核武装容認ともとれる(?そのものか)発言が出てきましたね。
「真意は(別にあるので)ご説明したい‥」なんて後から言っているけれど「そういうことを(そういうふうに)気軽に言ってもらっちゃうのは困る」という小沢一郎さんの言葉は小泉さんの「話し方」よりずっと「分かりやすい」と私は思いました。
核兵器は「相互確証破壊理論」で「使ったら最後だよ」という脅し合いの理論、つまりは「冷戦」論理の大きな柱であったわけだと思いますが、有事法といい原子爆弾発言といい、どうも「冷戦頭」とでもいうような時代のミスマッチがあるなと私は感じます。
ここでサッカーに目を向けてみますとAグループ・フランス×セネガルのゲームが子豚の印象に残っています。サッカーはボール(という道具が)一つあれば22人が出来るスポーツだといいます。また、お金を積んで得ることの出来ない「Something else」がゲームの流れの鍵を握っているとも。
それをにわかファンらしく「文化」や「社会背景」に置き換えると、それらの優劣ではなくそれぞれの違いを出し合った結果が0−1であった、などと想像して子豚は楽しんだりしています。
サッカーが強い国は必ずしも経済・軍事的には「大国」ではないようです(クラブチームは例外なく多国籍ですから「ナショナル=国家チーム」に限ってのことですが)。また、ソルトレイク冬5輪のような「メダルの偏り方」もないようです。
22人が一つのボールに熱中すること、全力を傾けることの意味は「世界で最も盛んなスポーツ」にとってどのようなものなのか、冷戦終結からはや10数年「分断の時代」から「融合の時代」に、と想像をさらに拡げてみると—
真夏に毛皮のコートを買う(ような核武装、有事法)よりサッカーボールをたくさん買って使ってもらった方がより多くの人々に喜ばれるのではないか、役に立つのではないかなと子豚は思ったりします。
追記:持たないことが強みになる
超大国アメリカより小国カメルーンの方がサッカーでは強い訳を大橋巨泉さんは「有閑悠閑( W杯の成功祈る・2002年05月31日・アサヒコム)」で書いていらっしゃいます。
さて、「持たざる国」日本を本当に恐れているのは誰なのでしょうか。それは案外と、遠くて近しい(と思っている)人々かもしれませんね。(有閑悠閑 http://www.asahi.com/sports/column/kyosen/020531.html)

