宮崎ロッド・Prime Time バンブーロッドPiggy's Tail

2002-01-05

生命の勝敗、失敗国家

夕方の「子豚のしっぽ」です。今、外を焼き芋屋さんが通りすぎたところです。西の方(秩父の山並みがちょっと見えます)は夕焼け。昼間が暖かったので気温の下がりかたが急に感じます。

私が好きな本に「アースワークス」ライアル・ワトソン著・筑摩文庫があります。必ずキャンプに持っていきます。特に好きなのは第1章の「生命の勝敗」です。ここに「ボスコ人」が登場します。

アフリカの言葉でストランド・ローパー(浜辺の散策者)と呼ばれる、か細い骨格と現代人より30%も大きな頭蓋を持ち、氷河期に滅んでしまった人々です。彼らの「遺跡」には遺物らしいものはほとんど無く、堆い貝塚と僅かな石器があるだけだといいます。

進化の上では彼らは勝ち残ることが出来なかった進化の系統のいわば「失敗作」「学問的にはほとんど意味のないフリーク」だというのが通説であるといい、ブッシュマンの祖先だという説もあるそうです。しかし、ワトソン博士は「どちらの考え方も、わたしには疑わしいと思う。」と記しています。何故かというと、彼らとワトソン博士は「ある秘密」を共有しているのですが、ここでは内緒にしておきます。

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時々ですが失敗国家」という言葉を見ました、例えばこんな風に。

『「失敗国家」がテロを生むなら、「失敗国家」を生まないようにしようということだ。』『マクロ経済政策に関しては日本はもはや「失敗国家」も同然だ。』、『シルクロードは失敗国家群が生み出すテロリストたちの裏街道となった。』、『次々と「失敗国家」に転落する中央アジア、そしてアフリカ。』『旧ソ連が解体した後で、中央アジアにたくさんの国が生まれました。国とは言っても、経済的裏付けもインフラ整備もないまま、なしくずしに独立した国々の経営はむずかしく、どこも貧困にあえいでいます。いわゆる失敗国家です。』

「日本@世界」各章より/船橋洋一
アサヒコム連載コラム(http://www.asahi.com/column/index.html)

なるほど、こういう目線もあるのだなと思います。

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私の好きな音楽、ジャズ、ブルース、ソウル、琉球弧の音楽等々は「非平均律音楽圏」というようなところにその源流を持っています。その図版はちょうど失敗国家群にほぼ重なっているようです。

それらの音楽は私の暮らしを豊かにしてくれます私の人生へのとても嬉しい、重要な贈り物であると言ってもいい。そしてそれらは今もそこから私の手元(心)に届いています。

経済や政治の尺度から離れて、音楽や文学など文化から改めて見回してみると世界にはこの「豊かな贈り物」は届いていないなと私は思ってしまいます。

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「失敗」という言葉には特別の力があるようです。成功と失敗、勝利と敗北という風に何かの状況を一見分かりやすく仕切ってくれる。それは目標にもなり、結果にもなる。

しかしそういう二者択一的にそれほど単純なものではない面もあるでしょう。たとえば、一つの成功の影に多くの失敗の積み重ねにあったりもする。生命の進化で言えば、その飛躍は「失敗作」「敗残者」によってなされたとも言える。失敗「した」のか失敗「させられたのか」という問題もある。そして「競争」が公正だったのかということもある。

さて、失敗国家から何を学べばいいのでしょうか。何を学んだのでしょうか。何を学ぼうとしているのでしょうか。それを考えてみる前にまず「浜辺の散策者」に教えを請うことを私はお奨めしたと思います。

Posted by TM* at 2002-01-05 22:11 in 暮らしの周辺 » 雑感 | English | Permalink | 

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