価値相対主義
秋の連休2日目の「子豚のしっぽ」です。ラジオから時折、高速道路の渋滞情報が流れてきます。今日は昨日よりは道が空いているようです。子豚は家の中で読書&竿作り中です。
最近読んだ本に「不安の世紀から/辺見 庸著」角川書店・1997年があります。オウム真理教事件やサラエボ・ヘルツェゴビナ紛争を軸に、メディアの有り様や時代の精神の状況を対談したTV番組(ETV特集・NHK教育テレビ)を元にまとめられた一冊です。
対談者は、ロバート・ジェイ・リフトン博士(歴史心理学者)とファン・ゴイティソーロ氏(文学者)ですが、辺見氏はこのお二人をあえて対談相手としたのは「不安の今世紀末から二十一世紀を展望するには、政治や軍事情勢の予測よりも『人間とはなにか』といった観点を大切にしたほうが、おそらくはより示唆に富む話し合いになるだろうと考えて」と冒頭に記しています。
新しい状況が次々と立ち現れて「到達点=答え」がないような宙ぶらりんな自分を時々感じてしまいます。外的にはメディアに対する警戒感、内的には自身が依って立つべきものへの疑問がそこにはあるようです。では私はどうして行けばいいのか?
この本から感じたことは、いわゆる「原理主義」に陥らない考え方としての「積極的な価値相対主義=一元的な原理、原則にこだわらない、主義ならざる主義」の大切さではないかと思いました。自己形成の過程を「現実離れした理想主義的なものでなく、非常に具体的で多様な現実や価値観に接する」ことが「次第に自分が人類の一員であるという強い問題意識」を持つようになるとリフトン博士は語っています。しかし正直に言って、これはキツイなと思いました。
その有り様とは、耳障りのよいスローガンの対局にあり、伝えるためにはより多くの言葉を必要とするでしょうし、綱渡りも同然に集中とプラクティスが必要でもありましょう。さらには何かを信奉する人には(とても都合がいい)「敵」と意識されるかも知れません。
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最近のメディア全般は「イメージが論理を無力化」する傾向があると辺見氏は指摘しています。さらに「分析的思考を無力化し想像力を奪う」とも。送り出される情報には「書かれていない事」もあるというわけです。
このホームページも努力しているつもりですが書かれていない事だらけです。たとえば「荒削り」をした後に鼻をかむとティッシュが真っ黒けになります。節直しの時、炎で小割を炙ったときにできる「墨」を吸い込むからです(まぁ、関係ないか!)。
…というわけで、このホームページ全般も色々な意見や実践をご参考におおいに「価値相対化」されることを読者の皆様にお勧めいたします。(o^−^o)Peace & Love, & Togetherness !
追記:23日の「感謝祭(サンクスギビング・デー)」について。
ご存じの方も多いと思いますが、迫害を逃れて「新大陸」にやって来た清教徒達が最初の冬を越せそうもなのを見たネイティブ・アメリカン達が彼らに食料を提供したという史実にちなんで、この日はかつての清教徒やネイティブ・アメリカンに扮して、その時のネイティブ・アメリカン達への感謝の食卓を再現して、家族・友人でそれを囲んで往事を偲ぶ…という日だそうです。

