シャドウワーク、プラグを抜く
朝陽がパソコンに当たってマブシイぜ!の「子豚のしっぽ」です。今朝は鬼平みたいに白粥で、と朝食を準備中です。「やっぱり朝は、これに限る…」などとシブク決めながら寝ぼけ眼でコーヒーを、雲一つない秋晴れ、洗濯機が回る音とシャドウワーク真っ最中なのです。
ん?早速、いま読んでいるI・イリイチの本から出てきた言葉─シャドウワークとは「賃金が支払われない労働」「そうすることで財(=希少性)の価値を生み出している労働」といった概念らしい、言葉です。
産業経済社会というものは絶えず人々の自立・自存に対峙してこれを囲い込みながら「財」を生み出すのですな。したがって「便利」「進歩」といった代償に膨大な外部不経済と人間存在(男と女、といったその宇宙的な意味を含めて)の後退をもたらす、と仮定すると何が起こるのか?
ここで純粋なシャドウワーカー、中学生の「M」君に登場願おう。彼は学校に行く(教育という価値を生み出す)という労働で賃金を得ていない。彼は「学校=教育者」という専門家のカリキュラムによって学歴(という希少性)を手に入れるのですな。
それは「目的を実現する過程と目的を混同」させる働きがあると共に「専門家」無しでは何もできない、自分自身で考えて行動することができないという自立・自存の生き方とは正反対の「ひとつの経済単位」を作り出す、ということが想像されるのですな。
その意味で「現代的貧困」とは、豊かな社会の中にいながら「満たされない自分」を絶えず意識させるというマーチャンダイジングのことである、と子豚は思いあたるです。
ではどうしたらよいのか、ということですがここでイリイチ思想は「プラグを抜く」という概念が登場してくる、となる。およ?、エリック・クラプトンにもそんなのがあった?彼、いい線行っているヨな、と子豚は思っています。
- シャドウ・ワーク(生活のあり方を問う) / I.イリイチ著・岩波書店(同時代ライブラリ10)1990年
ハッキリいいまして「危険思想」です。ココロしてお読みください。

