イラクによせて
イラクでの邦人拉致を知った4月9日から今日まで、このことには主にWeb上の大手メディアの報道、アル・ジャジーラ、個人ブログ、メーリングリスト、掲示板など、記事に含まれるリンクなどをたどりながら、できるだけ多くの情報を得ようとしています。
それらからは、ある時は安堵し、落胆し、ある時は激しい怒りの気分が伝わってきます。ここでは詳細には触れませんが、そのような気分に強く影響される自分を感じます。
私たちは今、はっきりとした暴力の輪の中にいます。それはイラクであろうがトウキョウであろうがすべてのものをその中に閉じこめようとしています。
生活の隅々に不安を仕掛けながら、突然に、その輪に繋がれた時、クラスター爆弾がぱっと展開し、戦車に踏み砕かれ、小銃弾になぎ倒され、バスや列車もろとも爆破される、という日常を出現させています。
私たちは紛れもなく当事者です。
ナイフがのど元に突きつけられ、銃口に身を晒していた3人の本当の映像は、この輪の中で彼らが私たちの身代わりであることを私に教えてくれました。
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暴力の輪はいつでも弱い者に無惨を強いています。そんな目を覆わんばかりの写真がWeb上にはたくさんあります。また、身近にもそれを感じます。
拉致された子供達の帰りを待つ家族にもそれは向かいました。その心労に対して浴びせられた罵声に、家族は頭を下げて詫びなければなりませんでした。
なんということだろうと思いながら、これが「正しい戦争」のほんの一面なのだと私は感じています。
人でなしになること、それが戦争です。
もしかしたらサッカーに興じるような若者同士が、家族を愛する優しい父親同士が、ごく普通の人々同士が罵り合い殺し合っている、正しいか間違っているかはここでは、この暴力の輪の中では問題になりません。

