「戦時下」の暮らし
太平洋戦争中、女学生だったご婦人と以前、雑談する機会があった時、何気なく当時の統制などを伺うと年度末に何かのものがなくなってゆくのです、というようなことをおっしゃっていたのを記憶しています。
いろいろとお話を伺いましたが、その時の「戦時下は」ということばの響きを今、私は思い出します。
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地獄の黙示録でカーツ大佐が見た、肩から切り落とされた子供達の腕。カンダハールへの旅でマフマルバフが描いた、空からパラシュートで降ってくる夥しい義足。
それらははた迷惑な使命感と独善がもたらしたものでしたが、牛や鶏はモウ、ケッコウ(みぞおち辺りから沸き上がってくる不快感)と狂牛病、鳥インフルエンザで殺される牛や鶏たち同様、世界中で私たちの何かが屠られようとしている、それが今日の対テロ戦争「戦時下」の暮らしの雰囲気なのではなかろうか、などと私は感じています。

