信を問うこと、緊張感と孤立感
お昼の「子豚のしっぽ」です。アップしたファイルのチェックがあらかた終わりました、のですが今度は子豚ページ群が気になってしまうという子豚ぶりです。
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イラク占領軍支援のためにこの国が「参戦」するための法律が成立ぎりぎりで、与野党がせめぎ合っています。きのうの党首討論をライブで聞きましたが「どこが(派遣可能な)非戦闘地域で、どこが戦闘地域なのか、いま私に聞かれたって分かるわけがない」というように非常に正直そうに聞こえますが、「小泉話法」のスイッチを切ると「開き直り」そのものだと私は思いました。
自衛隊員になるという契約に「他国で戦うこと」「他国のために戦うこと」はあるのでしょうか?私はないと思います。この法律は政治的恣意的な自衛隊の「ブッシュ・コイズミの私兵化」であると私は思います。
いわんや憲法違反であると私は思います。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し」て議会解散・総選挙で信を問うことを私は望みます。
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今の子供達は学校に行く時、親に「目立たないようにしなさい」と言われることが多々あるとのことです。いじめ問題や進学問題などが根底にあるのだろうと思われますが「出る杭は打たれる」「自分以外はバカ」式の大人社会の縮図そのものであると私は想像します。
その場の空気に合わせるという同調圧力は社会の中に「よい子」像として彼・彼女を存在させますが、そういう子供が事件を起こし「目立たないよい子」という虚像に戸惑う社会が何度も何度も浮かび上がります。
合わせて、些細なことで相手を傷つけ死に至らしめること、年間3万人以上もの自死者は、この空気のようなものを通して社会に接触することに暴力を選ばせ、社会との絆を失った者は絶望的な断絶が待つという「緊張感と孤立感」で私たちを被っているのではないかと私は思い至ります。
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自分の主張にそぐわない意見を持つ者を「抵抗勢力」とひとくくりにすることには「われわれの敵はテロリストである」というブッシュさんと同じロジックがあると私は思います。単純な問題提起、倫理・宗教観の押しつけ、また自らを省みない事、「敵」に対しては自説を一方的にまくし立てて説得することを放棄するところも同様です。
ここのところの小泉さんや、問題発言を続ける現・元閣僚の言葉の陰に高揚感のようなものが漂っているようにも思えます。「テロリストと名指しするロジック」は、ほんのごく一部の人々にとって、とても気分がよいものであることは洋の東西を問わないようです。
しかし、私は吐き気がします。

