すべての人の心に花を
すべての武器を楽器に!─15日、喜納昌吉さん達がイラクで「すべての人の心に花を」を唄うそうです。
「国家単位の『利権』という世界と人間を呪縛する構図から解き放たれるべきである」と喜納さんは「すべての武器を楽器に/ "Lay down your weapons , take up musical instruments"」1997年・冒険社刊の中で主張しています。
核兵器、生物科学兵器などの大量破壊兵器の使用や拡散の恐ろしさが盛んに、繰り返し喧伝されています(米国のイラク先制攻撃の大きな理由とされてもいます)が、劣化ウラン弾や無人攻撃機やテレビ誘導ミサイルや通常爆弾、自動小銃の弾丸にしてもそれに晒されるものにとって残酷さ・恐ろしさはまったく同じものであろうと私は思います。
今日、イラク攻撃のTV討論(のようなもの)を見て、この戦争を支持する人たちの論からはこの視点がものの見事に抜け落ちていることと「国益」「国際貢献」という言葉の響きの中に、もしこの戦争を始めれば20万〜50万人の老若男女が挽肉になってしまうことを前提に言っているのか、という憤りを私は感じ続けました。
自衛的な先制攻撃(?)への支持、中東に民主国家をつくり拡大しようという逆ドミノ理論、と論じられることの前提としてこれらの命の重さを論者の言葉の中に私は感じることがまったく出来ませんでした。
奴隷というのは、奴隷同士では互いに主人の自慢をしあって張り合う、とどこかで聞いたことがあります。彼らを見ていて、そんなことを私は思い出しました。

