よりましなものを選択する
過去、デフレ(供給過剰)をどのように克服してきたかをちょっと考えてみると、先ず思い当たるのは「戦争」だろうと私は思います。正義の旗印の下で、若者たちと非戦闘員を挽肉器に放り込みながらの消費、によって過剰在庫を処分する。
現在進行中の戦争は「対テロ」「正義か悪か」の言葉の後に、あと40年で無くなると言われている石油の奪い合いを垣間見せます。
他方、供給過剰を社会的消費で解消して行こうというヨーロッパの「社会民主主義」という生き方があるようです。よく引き合いに出されるのは「スウェーデン・モデル」「オランダ・モデル」です。
厳しい自然や経済状況がその下地にあるとしてもワークシェアリングを取り入れFEC(フード、エネルギー、ケア)を地域で出来る限り自給・供給しようという取り組みには個人にとっても企業にとっても「高負担」は不可避です。
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米英の対イラク戦争はすでに始まっていると私は思います。来年の2月開戦などというのは目くらましだろうと思います。この国の政府はインド洋・アラビア海にさらに兵力を増強しようと考えているようです。
さて、私たちは選挙を棄権して自分たち(自分自身、妻や夫、子供達)の未来を白紙委任してしまっていいのでしょうか?
一日を忙しく生きている時、少し遠い「明日」をより良くしようという努力を選挙権のない子供達のためにしないことがどのような世界に彼らを住まわせるのか、想像することを放棄していいのでしょうか?
うんざりとしながらも「よりましなもの」を選ばなければならないのが「希望のない国」での大人たちの、未来を担う子たちへの贈り物だとすれば、それを買いに行く近所の投票所は意外と近い場所にあると私は思うのですが。
投げ捨ててしまう未来を自分のためではなく他の人のために生かすことはできないのでしょうか?

