備えあれば、憂いなし?
備えあれば、憂いなしというフレーズが一人歩きを始めているようです。災厄が訪れる前に準備をしておけ、という警句には遙か昔から天災に苦しんできた日本人の心に深く共鳴するものがあるようです。
飢饉、地震、洪水と先人は知恵をしぼってこれらの「天災=人知が及ばぬ力」に力を合わせて立ち向かった。よく噛みしめてみるとこの言葉には「人間の思い上がり」を戒める謙虚さというようなものが備わっていると私は思います。
いま考えられている有事法制は本当に「備えあれば憂いなし」というものなのでしょうか。他国からの侵略を前提にして軍事力展開の法的整合性を急ぐかのような背景には何があるのでしょうか。そもそも他国とはどの国でしょうか。
最近、凶悪理不尽な事件が毎日のように報ぜられますが自分の身を守るには武器を持つしかない、と国民全てが銃を持つ。これで果たして「安全な国」になるのか。私の答えは明白に「NO」です。軍事力についても同じことが言えるだろうと思います。
「おかしい点はたくさんある。」と憲法について小泉首相は国会で答弁されていますが、これは日米安保条約と憲法の矛盾をいった小泉氏のイデオロギーのようなものだろうと思います。戦後57年間、日本兵が海外へ行って戦ったこともなく(これはアフガン戦争にロジスティックといえども参戦させたのでちゃらです)武器を輸出したこともない国の憲法を評した言葉の一つです。
世界は「弱い者達が弱い者達を打つ」現実をいやというほど味わっています。戦う(戦わされる)のは概ね同じ国民、民族、人種のように思えます。そして安全地帯からレーザー誘導爆弾や巡航ミサイルが撃ち込まれます。これが今日の「戦争」だと私は思います。
「憲法改正を現実の政治課題にのせる気はない」などと言わないで大いに論議すべきだろうと私は思います。そして本当に有事法が必要であれば憲法改正を憲法にのっとって国民投票をすればよい。この戦後57年間、この国を守った「言葉」の重さをもっと大切にして欲しいなと私は思います。第九十九条は言わずもがなです。
野坂昭如さんの言葉。「本土決戦なんて出来ません」
- 有事法制特集(アサヒ・コム http://www.asahi.com/politics/yuuji/index.html)
- 有事法制って何?(WHO IS YUJI? http://www.nowar.jp/)
- 「非戦」ホームページ(sustainabilityforpeace.org http://www.sustainabilityforpeace.org/)
- 小泉さん、「行け行けどんどん」じゃ困ります/野中広務+瀬戸内寂聴・世界3月号(No.699)岩波書店
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追記:憲法の前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

