”Why?”という問いかけ
パレスチナ情勢は「きな臭い」をとうに通り越して聖誕教会内にいるといわれているパレスチナ人に対してイスラエル軍が攻撃するという事態に(大袈裟に言えば)キリスト教全体の対応が厳しさを増すという、あの恥じ入るべきプロバガンダ「文明の衝突」のシナリオを彷彿とさせてきているようです。
パクス・アメリカーナを夢見る野望は「正義と悪」の踏み絵を全世界に強いているようですが、自らのロジックに足元をすくわれて「愛国者法」とひき換えに「”Why?”という問いかけ」を忘れてしまっているのではないかと私は思います。いま起きていることは「自由と民主主義」という高貴な旗印の下に冷徹な植民地支配を行っていたなどという西欧世界の倒錯を思い起こさせます。
「ダブル・スタンダード」─何という卑しい言葉でしょうか。片方の手で爆弾を投下して、残る片方の手で人道支援をする。人権を掲げながら非民主的な政府を援助する。全てのテロに毅然と戦うが自国自身の「国家テロ」はその範疇にない。難民キャンプ?強制収容所とどこが違うのか。私にはよく分かりません。
聖誕教会もバーミアンの大仏像と同様に「恥辱」にまみれて崩れようとしているのでしょうか。

