政治家と核兵器
核兵器の論議の中で「持つこと」について、政治家の発言があった。もし私たちが核兵器を持つことになるとおそらく以下の順番に進むことになると思う。
- 国内の反・非核言論の弾圧
- 秘密裏に核兵器を製造開始
- 核兵器開発を察知した国連が非難決議
- IAEA、CTBTを脱退
- 核実験実施
- 国産大陸間弾道弾の実験
- 核保持を声明
- 近隣国への核拡散「核ドミノ」が進む
- 国連が「第7条42項」と経済封鎖を発動
- 新ABC包囲網で資源・食料などの輸入が停止
- 国連を脱退
- 国家統制と先軍政治
行き着くところは決定的な崩壊しか考えられない。
核兵器を「持たない」としながらも「持つこと」の議論の行き着く先はこんなところだろうと私は思う。「小型核兵器を持つことはそれを禁止することが憲法に書いてないので可能」など言っているうちに梯子を外されるのは目に見えているとも思う。
結果、膨大な債権(主に米国債)は紙切れになりホクホクなのは誰なのか?戦争経済がこれで10年は続けられて儲かるのは誰なのか?そして新たな全体主義が極東に生まれ、消えて行くだろう。
現在、この国には約40トンのプルトニウムがストックされている。一流のロケット技術がある。そして半年あれば核兵器を作れる技術があると見られている。この3点についてだけでも国際社会(便利な言い方だね)への脅威と取られるのは充分だろう。
そうすると駐留軍が基地を強化するのも安全保障とは別な理由があるのか、とも感じる。
要するに核兵器という「手段と目的」がこの国の過去の歴史や成り立ちと目指すものに対して相応しいものなのかを突き詰めると、核兵器を持つということはこの国のかたちを根底から変えることだと考えるしかないだろう。
憲法とその理念を教える教育基本法、共謀罪、空前の企業収益と福祉の切り捨て、働くこと(=暮らし)の不安定化、報道の奇妙な萎縮等々、それはすでに始まっていると思わざるを得ない。

