[読書]標高2800米・樋口明雄
私が奥多摩に移住した理由のひとつに尊敬する叔父の存在があります。奥多摩の谷深く見通しも利かない険悪な山道に埋もれたような不思議な話、忘れられた話等々を叔父が一人で心血を注いで追いかけて仕留めた牡鹿の剥製に見守られながら聞く時、背筋がゾクゾク!としたことが何度もあります。
そのゾクゾク感は現実(=うつつ)と空想(=夢)のせめぎ合いというか、何か信じがたいものがそこにあると感じた時の混沌に対して身構えながらもそれらを素直に受け入れられるのは「語り部」たる叔父の山や川を愛する誠実な生き方があるからだと思います。
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福島原発事故はあり得ないという夢は最悪の事態を収束する目途が事故後1年を経て未だに見つけられないまま覚めました。
「標高2800米」の場面でナゾの事象から電気供給が破綻(=原発がメルトダウン)して迎えた最後の夜のようにランタンの光だけで好きなアダムスを巻いてみましたがハックルを選んだりウイングの位置を決めたり…なんとも心の暗くなる、でも大好きな川辺に自分が最後に立っている姿を思い描けるのがただ1つの慰めなのだなと感じることができたような気がしました。
想像物たる小説の中、標高2800米でいったい何が起きたのか、一気に読み進んだ後に残った寂寥感、そこから希望を見つけ出すことに何百年、何千年かかることなのか…。怪異、ほのかな希望のともしびとともに魅力的なフライフィッシングの場面など、作品に散りばめられた夢とうつつ。小説と現実は正しく地続きだったと思わせる作品です。













